平経俊は平安時代末期の武士です。
平清盛の弟・平経盛を父に持ちます。兄に平経正、弟に平敦盛がいます。
経俊は平氏全盛の頃、1178年1月に伊賀守となります。このとき、位階は従五位下。その後、同年の11月には父・経盛が知行国主だった若狭守に任じられます。
1183年、源義仲により平家一門が都落ちすると、これに同行。1184年の一ノ谷の戦いで経正、敦盛とともに討ち死にしました。
『平家物語』では、最期を悟った経俊は、従兄弟の清房や清貞(清定)とともに敵陣に切り込み、敵を散々に倒したあと討たれたとされています。