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どうやって治していた?平安時代の病気の治療方法

現代では病気になったらすぐに病院を訪れ、医者の診察を受けます。

ですが、平安時代の頃にはもちろん、病院なんてものはありませんでした。では、平安時代の人たちはどのように病気を治療していたのでしょうか。

今回は、平安時代における病気の治療方法をご紹介します。




平安時代における病気平癒の方法

平安時代では、以下2つの方法で病気を治療していたといわれています。

医術

薬

あまり知られていませんが、平安時代の頃にはすでに大陸(今でいう中国)から医学に関する情報がもたらされていました。

平安時代では、その情報をもとに医術を発展させ、治療に活かしていたといわれています。そして、その医術をおこなう人たちのことを医師(くすし)と呼んでいました。

医師は、当時の国の機関であった宮内省の諸官司のひとつ「典薬寮」に属していた人たちのことを指します。「投薬」「針」「灸」「蛭食(ひるくう)」といった治療によって病気平癒を目指していました。

※蛭食(ひるくう):腫物など血が溜まった部分に蛭をくっつけ、悪血を吸わせる方法

【典薬寮の官職の一例】

  • 典薬頭
  • 医師
  • 医博士
  • 針師
  • 針博士
  • 按摩師
  • 按摩博士
  • 侍医
  • 女医博士
  • そのほか

本来は上記の官職ごとで専門とする治療方法が異なっていました。

ですが、実際のところすべての官職の人たちが投薬、針、灸、蛭食などの治療を施していたといわれています。

また、典薬寮を退いた人たちも、同様の治療にあたっていたとされています。平安貴族においては位が五位以上の人たちが、申請によってこの典薬寮の治療を受けることができたようです。

なお、平安時代中期には「医僧」の存在も確認されています。

呪術

式神

平安時代では医術のほか、呪術による病気平癒も取り入れられていました。

ここでいう呪術とは、神仏の力を借りることをいいます。神や仏に祈りを捧げることで、病気を患った人たちの体調を快復させることを目指していました。

そして、この呪術を行なっていたのが「験者(けんざ)」と「陰陽師」です。

験者は僧侶の一種で、官僧のなかでも特に知識や技術に優れていた人たちのことを指します。おもに「加持祈祷」という方法で病気平癒を実現しようとしていました。

一方、陰陽師とは、公的機関である中務省の諸官司のひとつ「陰陽寮」に属していた人たちのことを指します。

もともとは「暦数」「天文観測」「卜占(占い)」を職能としていましたが、次第に呪術もおこなうようになりました。

【陰陽寮の官職の一例】

  • 陰陽頭
  • 陰陽師
  • 陰陽博士
  • 暦博士
  • 天文博士
  • そのほか

本来はそれぞれの官職で専門とする術が異なりました。

ですが、医師と同様に実際のところすべての官職の人たちが暦数、天文観測、卜占(占い)、呪術を行なっていたといわれています。

また、これも医師と同じで、陰陽寮を退いた人たちも上記の術を用いていたとされています。

陰陽師の場合、おもに「祭祓(まつりはらえ)」という方法で病気平癒を願いました。これは、悪霊を祓うことで、体の調子を良くすることを目的としたものです。

平安時代では、もののけや悪霊の仕業によって病気になることが信じられていました。験者や陰陽師などは、そうした原因に対する間接的な治療方法として主流でした。

ちなみに、験者と陰陽師は、病気平癒を願うだけでなく、医師が施す治療の吉凶を見ることもありました。




平安時代では医術と呪術を併用していた?

今でこそ病気は医術によって治すものという認識があります。

ですが、当時は医術と呪術の両方でもって病気を治癒することが主流でした。平安時代では片方だけに頼らず、2つの方法を併用することで病気に対処していたのです。

もちろん、ときには医術と呪術のどちらかを用いることもあったでしょう。しかし、基本的には2つの方法を取り入れて、病気平癒を目指しました。

実際、平安時代中期の三条天皇が眼病を患ったとき、原因は悪霊や祟りによるものとされ、験者や陰陽師の加持祈祷・祭祓が幾度も行なわれました。一方で、それと同時に薬物による治療も行なわれたといわれています。

また、藤原道長が著した『御堂関白記』にも、医師と陰陽師に病気を診てもらったことなどが記されています。

このことからも、平安時代においては医術と呪術の両方が病気平癒の治療方法として用いられていたと考えられています。

平安時代の庶民は病気にどう対処していた?

ここまでお話ししてきたことは、あくまで皇室や平安貴族たちの病気平癒の方法です。

では、平安時代の庶民たちはどのように病気を治していたのでしょうか。じつは平安時代の頃には民間のなかにも医術と呪術をおこなう者がいたといわれています。

『小右記』には三条天皇が歯痛を起こしたとき、民間の老女が抜歯を行なったという記載が見られます。

また、『御堂関白記』には三条天皇が眼病を起こしたとき、民間の『男巫』による何かしらの祭りが施されたという記録があります。

皇室や平安貴族が、こうした庶民の治療者を用いることは非常に稀でした。ですが、庶民に関しては、そうした人たちに病気の治療を依頼していたのかもしれませんね。

さいごに

平安時代における医学のレベルは、現代と比べるとさすがに及ばないものかもしれません。

それでも平安時代には平安時代なりに、病気に対するアプローチ方法が確立されていました。そして、平安時代の人たちはそれらの治療方法に信頼を置いていたようです。

時代は違いますが、「病気を治す」という考え方は、今に共通している部分であるといえますね。

参考文献

平安貴族社会における医療と呪術─医療人類学的研究の成果を手掛りとして─
歴史学者・繁田信一氏執筆。平安時代の医療技術に関して明らかにする論文。当時の漢文日記を主要資料に、平安貴族社会における病気平癒の方法を掲載。平安時代では医術が整っていなかったと思われがちだが、じつは当時からそれ相応の医術が存在。鬼や怨念が信じられていた時代とはいえ、医術と呪術の両方を活用して病気に対処していた、という内容になっている。

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