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貴族から一般民衆まで、女性の出歩きが危なかった平安時代

国風文化が芽吹き、華やかな時代となった平安時代。高貴な人々は煌びやかな衣装を纏い、優雅な宮廷生活を送っていました。そんな魅力的な部分が注目される平安時代ですが…女性たちにとっては油断すると襲われてしまうような時代でもありました。今回は、女性が襲われた事件をいくつかご紹介します。



高貴な女性が宮参りのときに・・・

まずは、女性貴族が宮参りのときに襲われた事件から。

中級貴族の家のある女性は、お宮参りに熱心で、時間があれば、いろいろな神社にお参りしていました。あるとき、女性は女童を一人連れて、霊験あらたかだと言う鳥部寺に向かいました。そこは都から離れたところで、ひとけの少ない場所でした。女性と女童が参詣していると、そこへ男があらわれます。男は女童を寺の中に引っ張り込み、服を脱ぐよう脅します。女童はその命令に従い、すべての衣服を脱ぐと、男は主である女性の手を引き、仏像のうしろに引っ張っていくと、そこで女性を犯しました。女性は逃れることができないため、終始、男の言う通りにしていました。男は事を終えると、女性と女童の衣服を持って山に消えました。二人は泣くばかりでしたが、そのままではどうしようもないので、女童は清水の僧侶のもとに向かい、事情を説明し、主のために衣服を借り、僧侶も一人付けてもらい、京に引き返しました。その途上、迎えの車が来たので、それに乗り、家に帰りました。

これは、『今昔物語集』二十九巻二十二話の「鳥部寺に詣でし女、盗人に会へること」という話の内容をまとめたものです。

この女性は当時、すでに若くはない30歳を過ぎていたこともあってか、あまり用心しないで出歩いていたようです。しかしこの話から、当時は貴族と言えども、いつ襲われるかわからないような時代であったことがうかがい知れます。

では、続いて一般女性が襲われた事例をご紹介します。

一般の女性が門内に引っ張り込まれ・・・

1014年2月12日、藤原実資は円融天皇の国忌のために円融院でおこなわれた法華八講に参加するため、内裏から円融院に向かっていました。その道中、八省院の北廊北辺を通ったとき、雑人たちが市女笠を被った女性を昭慶門西脇門内に引き入れ、閉門したうえで犯そうとしているところに遭遇しました。女性の叫び声を聞いた実資の従者が開門したことで、女性は強姦される前に助け出されましたが、雑人たちは逃亡しました。

これは、実資の日記『小右記』同年2月12日、13日条の内容をまとめたものです。

この日、偶然、実資が現場を通りかかったことで事件は発覚しましたが、そうでなかったら、市女笠の女性は雑人たちの手によってひどい目にあっていたでしょう。

それにしても、昼間、しかも宮城を守るはずの男たちの手によって強姦がおこなわれそうになっていたことを見ると、当時の一般女性は常に暴漢に襲われる恐怖にさらされていたと考えられます。

夫婦で出歩いていても・・・

京にいたある男が妻を伴って丹波国に向かっていたとき、大江山あたりで大刀を持った一人の大男と連れになりました。しかし道中、男は大男の口車に乗り、弓と矢を取られ、木に縛りつけられてしまいました。男の妻は、大男から衣服を脱ぐよう脅され、その言葉に従い、衣服を脱ぎます。すると、大男も衣服を脱ぎ、全裸となった男の妻を姦しました。事を終えると、大男は弓と矢、馬を奪って去っていきました。木に縛られていた男は、妻の手で解放されましたが、その顔は何とも言えない表情でした。

これは、『今昔物語集』二十九巻二十三話「妻を具して丹波国に行きし男、大江山にて縛られたる語」という題がつけられた話をまとめたものです。

この話からは、連れがいたとしても襲われる場合があったということがわかります。女性の出歩きがいかに危険なものだったかを示す例と言えます。



暴漢に襲われたときの女性の対応について

暴漢に襲われたとき、女性は相手の意に従うことが多い傾向にありました。上記の例でも、男に脅迫された女性は、素直に衣服を脱いだりしています。これは、むやみに抵抗することで、犯される以前に傷つけられる場合があったためです。最悪の場合、命を取られることもありました。

1027年8月4日、実資の養子である藤原資頼と藤原実康の従者が、下女を強姦しようとしました。ところが女性は必死に抵抗し、従者たちに応じませんでした。すると、従者たちは小刀で女性の髪をそり、手を切って傷を負わせました。そこへ滝口の武者が通りかかったため、従者たちは逃亡し、女性は強姦されずに済みました。

この事件で女性が命を取られることはありませんでした。しかし、暴漢の意に従わないことで、大事な髪を切られたり、手に傷をつけられたりしたことからも、抵抗することが自分の身をさらに危険にさらしてしまう場合があったことがわかります。

理不尽ですが、嫌だと思いながらも暴漢に従う。それが命を保てることにつながりました。

さいごに

平安時代では基本的に身分に関わらず、多くの女性が暴漢に襲われるリスクにさらされていたようです。平安時代と言えば、一般的には華やかなイメージがあります。ですが、その裏ではたくさんの女性が泣かされる事件が起きていました。平安時代の一面として知っておくとよいでしょう。

参考文献

平安朝の女と男 貴族と庶民の性と愛
歴史学者の服藤早苗氏が執筆。当時の日記から平安時代における男女の関係について迫った一書。女と男の出会い、当時の女性像、女性の性、王権の性、男色の広がり、強姦など、さまざまなテーマから当時の男女の性に関して紐解く。

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