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平知章とは?父・平知盛のために命を散らした若武者の一生

平知章は平安時代末期の武士です。

最後まで平家一門を牽引した平知盛の長男として、1169年に生まれました。ちょうど平家全盛の頃でした。

そのためか、若干16歳にして左馬頭と武蔵守を兼務し、従五位上に昇りました。

1183年に平家一門が西国へ都落ちすると、知章もこれに従います。翌年1184年の一ノ谷の戦いでは、父である知盛に従い源義経軍と戦闘を行ないます。

ですが、この戦いで平氏方は敗戦。戦場から船へ撤退するなか、知章は知盛を逃がすため、追ってきた東国勢の児玉党と刃を交えます。

しかし、多勢に無勢。知章は粉骨砕身の働きをしたあと討ち取られてしまいました。享年16。

この間に知盛は無事、船にたどり着きます。そして、知章の死を知ると自分を責め、涙を流したといわれています。

『平家物語』ではこのとき、知盛は以下のように述懐したとされています。

人の上でだに候はば、いかばかりもどかしう候ふべきに、我が身になり候へば、よう命は惜しい物にて候ひけりと、今こそ思いしられて候へ

若いながらも武士として命を散らした知章。この話は、のちに謡曲でも取り上げられることになります。

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