平行盛とは?源平合戦を戦い抜いた平清盛の孫の一生
平行盛は平安時代末期の武士です。
平清盛の次男・平基盛の嫡男として生まれました。
一門のなかでも武を期待され、源氏との多くの戦いで活躍しました。
今回はそんな行盛の一生をご紹介します。
栄達と歌人としての活躍
1162年、父である基盛が24歳で早世します。
父を亡くした行盛でしたが、平氏一門が栄達するとともに官位を得ていきます。
1178年に従五位上・播磨守。翌年の1179年には左馬頭・正五位下となります。
また、藤原定家に師事し、歌人として名を上げるといった活躍も見られました。その実力は、都落ちのときに定家に託した和歌の一首が『新勅撰和歌集』に入集されるほど。
行盛は平氏一門として順風満帆な生活を送っていました。
源氏との戦い
しかし、平氏のことをよく思わない勢力が拡大してくると、行盛は武将として活躍します。
源氏が反平氏を掲げ蜂起すると、行盛は近江、尾張、北陸などを転戦。源氏の追討にあたります。
また、一門が都落ちすると、これに同行。その後の一ノ谷の戦い、藤戸の戦い、屋島の戦いに参加します。
特に藤戸の戦いでは指揮官として出陣。結果、源氏に敗れますが、行盛が平氏家中のなかでも武に期待されていたことがうかがい知れます。
平行盛の最期
藤戸の戦いのあと、屋島の戦いでも敗れた平氏は彦島に拠点を移します。
そして1185年、平氏方は源氏方との最後の合戦に臨みます。「壇ノ浦の戦い」です。
はじめは優勢だった平氏方でしたが、潮の流れが変わったこと、味方の裏切りがあったことなどにより、徐々に劣勢となります。
最後を悟った平氏一門はつぎつぎと入水。行盛も従兄弟の平資盛と平有盛と手を取り合いながら海に身を投げました。
享年は不詳です。