平清盛の七男・平知度とは?

平知度(とものり)は、平清盛の七男として伝わる人物です。生年は未詳で、没年は1183年6月2日といわれています。

1179年に起きた「治承3年の政変」のあと、尾張守から三河守となります。官位は従五位上。



平清盛に連なる平家一門最初の戦没者

記録によると、平知度は1180年に起きた「富士川の戦い」で副将の1人として源頼朝と戦いました。

結果からいうと、この戦いは頼朝の勝利に終わりました。知度をはじめとする平家方は戦に敗れ、京へと戻りました。

しかし、その翌年。1181年に源行家らの軍勢を「墨俣川の戦い」で破ります。

そして、それから2年後の1183年。今度は源義仲率いる軍勢と、「倶利伽羅峠の戦い」で対峙しました。この戦いで知度は、義仲軍の源親義・重義の親子と交戦。相打ちとなり、戦死しました。

知度の死は、清盛からなる平家一門の最初の戦没者と伝わります。

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