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平国香とは?争いに巻き込まれ死去した平将門の叔父の一生

平国香は平安時代中期の武士です。

父は桓武天皇の曽孫とされる平高望。高望が臣籍降下によって平姓となって以降、国香も平姓を名乗るようになりました。

「平将門の乱」(承平天慶の乱)を引き起こした平将門は甥にあたります。

今回は、国香がどのような一生を送ったのか。その生涯をご紹介します。




臣籍降下した父とともに東国に下る

国香の父・高望は桓武天皇の曽孫とされ、もともとは皇族の一人でした。

しかし、889年に宇多天皇より平姓を与えられ臣籍降下し、898年には上総介に任じられ、東国に下ることになりました。

そのとき、父とともに国香も東国に下向。当時、常陸国(現在の茨城県)に勢力を持っていた源護(みなもとのまもる)の娘を妻にし、その地で勢力を拡大していきました。

平将門と源扶らの争いに巻き込まれて死去

ところが、935年に甥である将門が、常陸国で舅・護の子である源扶(みなもとのたすく)らに襲撃されます。

不意を突かれた将門側は当初、扶らの軍勢におされていました。ですが、じきに盛り返し扶らを討ち取ったことで争いは終結しました。

この争いは将門と扶との間で起きたものですが、その影響は国香が治める地にも及び、国香の館は焼失。国香自身も巻き込まれて死去しました。




平国香以降の子孫

国香の死去後、嫡子である平貞盛が将門討伐で功を立てます。

その貞盛の子に平維衡という人物がいるのですが、この血筋が平安時代後期に平氏政権を打ち立てた平清盛につながります。

国香から清盛までの人物を挙げると以下のようになります。

平国香

平貞盛

平維衡

平正度

平正衡

平正盛

平忠盛

平清盛

国香の血はおよそ200年先の時代まで受け継がれていきました。

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