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磯禅師とは?静御前の母として有名な白拍子の一生

磯禅師は平安時代末期の白拍子です。

源義経の妾・静御前の母として伝わります。生まれは大和国磯野(現在の奈良県大和高田市磯野)。

一説では、信西(藤原通憲)が磯禅師に水干・烏帽子のいでたちで舞を踊らせたのが白拍子の起源といわれています。

白拍子の派遣を行なっていたともされ、多くの舞女を抱えていたそうです。娘である静御前にも歌と舞を教えたといわれています。

1186年、鎌倉へ移送される静御前に同行します。その後、静御前が義経の子どもを出産すると、それを取り上げ、頼朝の使者に渡したといわれています。

それからしばらくして、傷心の静御前とともに京へ戻り、嵯峨で庵を結んだ、または故郷に戻ったと考えられていますが、たしかな消息はわかっていません。

参考文献

朝日日本歴史人物事典
朝日新聞社編。歴史上の人物1万1300人が紹介されている人物事典。神代から大正時代までが対象。有名な偉人から民衆の英雄、来日外国人まで、国籍と身分、そして時代を越えてありとあらゆる人物の“人生のプロフィール”が掲載されている。

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