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仏御前とは?平清盛に愛されながら、出家の道を選んだ白拍子の一生

仏御前は平安時代末期の白拍子です。

『平家物語』に登場し、加賀国原村(現在の小松市原町)で生まれたといわれています。

生年は1160年、没年は1180年と伝わります。今回は20年あまりの生涯だった仏御前の一生をご紹介します。



京で人気の白拍子が平清盛の妾に

仏御前は16歳で京中に知られる白拍子となりました。

ですが、彼女は「京中で人気になったとしても清盛に召されなければ何の意味もない」という考えを持っていたことから、平清盛のもとへ押しかけます。

清盛は「白拍子は呼ばれてはじめて参上するものである」と、仏御前を門前払いにしようとします。しかし、当時清盛の妾だった妓王がとりなしたことで、仏御前は清盛の前で今様を歌い、舞を披露することができました。

その舞を見て、清盛は仏御前を気に入ります。そして、妓王を追い出し、仏御前をそのまま自分の妾としました。

平清盛のもとから離れて出家

清盛の妾となった仏御前ですが、妓王に対する恩義を仇で返したことを悔やみ、また妓王の身の上がいつか自分にも来ることを無常に思い、清盛のもとを離れて出家します。

そして、このときすでに出家し、嵯峨野に草庵を構えていた妓王と、その妹・妓女(ぎじょ)、母親の刀自(とじ)のもとを訪れ、ともに念仏の日々を送ります。

その後、4人とも往生を遂げたといわれています。

仏御前の最後に関する異説

仏御前の最後については異説があります。

どのような内容かというと、一度は嵯峨野の草庵に身を寄せた仏御前。しかし、清盛の子どもを身籠っていることがわかり、尼寺で出産するのを憚り、故郷に戻ることを決めます。

その途上、子どもを出産しますが死産。1178年に故郷に到着しますが、1180年には死去したという話です。

また、死に関する説として、仏御前に魅入られた男たちの妻の嫉妬による殺害説と自殺説があります。

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