平将門と平清盛はどんな関係?
平安時代中期に朝廷に反乱した平将門と、平安時代後期に武士ではじめて太政大臣に昇った平清盛。この二人は同じ平氏の人間です。
ということは、将門と清盛には何かしらのつながりがあってもおかしくはないはず・・・。そう思っている方は多いのではないでしょうか。
そこでこの記事では将門と清盛の関係性についてご紹介します。
■平将門について
9世紀(800年代)後半から10世紀(900年代)の半ばまで生きた人物。東国で独立政権を打ち立て「新皇」を自称する。その後、藤原秀郷と平貞盛の軍勢に敗れる。首は京に送られた。
■平清盛について
12世紀(1100年代)の前半から後半にかけて生きた人物。伊勢平氏の棟梁として海賊討伐などで活躍する。その力はやがて朝廷にも及び、「平家にあらずんば人にあらず」の世をつくった。反平氏勢力の機運が高まるなか病死する。
平将門と平清盛はどんな関係?
将門と清盛は遠縁関係にあります。
二人が同じとするご先祖は平高望です。高望は9世紀(800年代)の後半に、臣籍降下し東国に下ったあと、その地で地盤を築いた人物。その子には平国香や平良兼、平良将、平良正らがいました。将門は、これら高望の子のなかの良将の子として生まれました。
一方、清盛は国香の子孫にあたる人物です。国香の嫡男に平貞盛がいるのですが、その子の平維衡の系統が伊勢平氏の清盛に続きます。
以下、将門と清盛の家系に絞った家系図です。
二人が生きた時代は約200年も離れていますが、家系を遡ると同じ人物にたどり着きます。この遠い血縁関係にあるところが将門と清盛の共通点といえます。