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平安時代の貴族や庶民はどんな食事をしていた?1日に食べる回数は?

普段、何気なくおこなっている食事。私たちは肉や魚、野菜、米など、たくさんの食べ物に囲まれた生活を送っています。

では、平安時代の貴族や庶民はどのようなモノを口にしていたのでしょうか。また、1日に何回食事をしていたのでしょうか…。

この記事では、平安時代の食生活についてご紹介します。




平安時代の貴族たちが食べていたモノ

まずは、貴族たちがどのような食事をおこなっていたのか見ていきましょう。

主食

当時、貴族たちが主食としていたのは「白米」だったといわれています。

農耕技術があまり発達していなかった平安時代。白米の流通は非常に限られたものでした。それでも貴族ほどの身分になると、白米を主食にできたようです。

ただ、白米といっても今のようにふっくらとしたごはんを食べていたわけではありませんでした。貴族たちは「強飯(こわいい)」と呼ばれるちょっと固めのごはんを口にしていました。

副食

貴族たちの副食には、じつにさまざまなものがありました。

野菜や山菜、海藻などをはじめ、魚、鳥、イノシシといった肉類も膳に並びました。また、「塩」「酢」といった調味料も一緒に膳に出されていました。

以下、源氏物語に出てくる食品(副食)の一部を並べてみました。

  • 雁(がん)の卵
  • 鮎(あゆ)
  • 鮒(ふな)
  • 池の魚
  • 貝類
  • 乾魚(干した魚)
  • 若菜
  • 筍(たけのこ)
  • 蓮の実
  • 果物

現代と比較するとさすがに種類が限られていますが、それでも当時としてはとても豪華な食事を楽しんでいたようです。

平安時代の庶民たちが食べていたモノ

では一方で、平安時代の庶民たちはどのような食事をおこなっていたのか見ていきましょう。

主食

貴族たちが白米をメインに食べていたのとは異なり、庶民たちは基本的にアワやキビといった雑穀を主食としていました。

そのうえ、少しでも腹持ちをよくするため、「雑穀をお粥のようにして食べていた」といわれています。庶民の主食から、いかに白米の流通が少なかったかがわかりますね。

副食

庶民たちの副食は、毎日というわけではありませんが、野菜や魚などが膳に並びました。

貴族たちのように何品も膳に出されるということはなく、基本的には「一汁三菜」であったとされています。

以上のように貴族たちと庶民たちの間では食べるモノに大きな違いがありました。当然のことですが、貴族たちのほうが豪華な食事をしていたようですね。

貴族たちはお粥も常食としていた?

お粥
さきほど、庶民たちはお粥を食べていたと話しました。

ですが、じつはこの習慣は貴族たちにも見られました。当時の日記や物語などには、たびたび「粥」と呼ばれる食べ物が出てきます。

しかも、ひとくちに「粥」といっても「硬めのもの(強粥)」から「軟らかめのもの(汁粥)」まであったといわれています。

「硬めの粥」は普段、私たちが口にしている「ご飯」に近いもの。「軟らかめの粥」は、それこそ現代でいうところの「お粥」のようなものでした。

繰り返しになりますが、貴族たちの主食は「強飯」です。しかし、朝食などでは、これらのお粥が出されることもしばしばあったと考えられています。

平安時代の食事回数

平安時代では、朝と夜の「1日2回の食事」が主流でした。

時間帯でいうと、だいたい午前10時くらいに朝ご飯。午後16時くらいに夜ご飯を食べていました。

ですが、朝が早い宮仕えの人たちや、大工といった肉体労働の人たちは、10時よりも前に朝ご飯を食べていたといわれています。そして、夜ご飯までの間に間食をしていたようです。

ちなみに、鎌倉時代になると貴族たちの間では「1日3回の食事」が基本となっていきます。




平安時代の食事はおいしかった?

平安時代には、すでに料理人がいました。「庖丁人(ほうちょうにん)」と呼ばれる人たちです。

しかし、調理は「蒸す」「煮る」「焼く」しかおこなわれなかったといわれています。そのため、現代の食事とは異なり、たいした味付けはされていなかったと考えられます。

さきほど貴族たちの膳には調味料が出されていたとお話ししましたが、それらを好みに合わせて料理に加える程度の味付けでした。

また、当時の料理は新鮮な食材が使われていたというわけではなさそうです。特に魚などの生モノは「干物」「乾物」にしてから食べていたといわれています。

現代に生きる私たちからすると、平安時代の食事は決しておいしいとはいえなかったのではないかと考えられます…。

実際、貴族の日記や物語などには食事のおいしさについて触れているものがそれほど多くありません。この理由には当時の思想的なことも含まれていると思われますが、単純にあまりおいしくなかったためと考えることもできます。

さいごに

平安時代の貴族や庶民の食生活は、現代とは大きく違いました。

比較的、貴族はよいモノを口にしていたようです。一方、庶民は基本的に貧しく、ごく限られた人たちしかきちんとしたモノを食べていなかったのではないかと思われます。

平安時代は飽食の時代と比べると、とても厳しい食生活だったといえますね。

参考文献

源氏物語にみる食生活 その粥について
高山直子氏執筆。紫式部の『源氏物語』で出てくる食事に関する情報をもとに、当時の人々の食生活に迫る。源氏物語を写実小説と位置づけ、重要な資料と述べるところからはじまり、平安朝文学書では「料理の味」「食べる快楽」の表現があまり見られない原因まで考察。じつはよく食されていた「粥」の存在について明らかにする。

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