当たり前だった?!平安貴族の遅刻について
誰もが一度は経験したことがあるはずの「遅刻」。学校でも会社でもひどく怒られる失態のひとつといえるのではないでしょうか。
時を遡って平安時代。じつは貴族たちも頻繁に遅刻をしていたのだとか。ところが現代とは違い、遅刻はある程度許容されていたともいわれています。
今回は、平安時代では遅刻がどのように考えられていたのか。平安貴族たちが遅刻をしていた理由や遅刻をした者に対する対応とともにご紹介します。
遅刻だらけ?の平安貴族たち
政務や朝廷行事、歌合せ、恋愛などなど。公私ともに忙しい日々を送っていた平安貴族たち。さまざまな用事をこなすため、時間にはとても厳しかったと思うかもしれません。
しかし、必ずしもそうではないようです。じつは平安貴族たちは、しばしば朝廷行事などに遅刻していました。なかには、遅刻をするくらいなら欠席しようと考える人物も。
そのため、吉日・吉時を選んで行事の日時を決めても、時刻どおりに開催されることは少なかったそうです。
一方で、時刻を厳守しなければならないという認識はあったといわれています。では、どうして平安貴族たちは時刻を守らなかったのでしょうか。
なぜ平安貴族たちは遅刻をしていた?
平安貴族たちが遅刻していた原因には、さまざまな推測がなされています。
時刻が厳密に共有されていなかった
平安時代でも漏刻(水時計)や日時計などで時刻の計測はされていました。そして、その時刻を伝える方法として時鐘(じしょう)や時簡(ときのふだ)、時奏などがありました。
しかし、それはあくまで内裏や大内裏でおこなわれていたこと。それ以外のエリアでは時間を共有できる方法が確立されていませんでした。時鐘の響きによって時刻を想定することもできましたが、それを聞き逃せば今が何刻なのかわかりにくかったのです。
当時のこの状態が貴族たちの遅刻を招いていた原因のひとつと考えられています。ただ、貴族たちは各自で時刻を計る方法を編み出したともいわれています。
体調を崩しやすかった
平安貴族のなかには不規則な生活習慣を送っていた人物もいました。不規則になる理由はさまざまで、政務であったり、私用であったりしたようです。
この習慣に加え、栄養が足りていなかったり、運動をしていなかったりしたために不健康になり、体調を崩した結果、遅刻していたケースも多かったとされています。
政務への意識が低かった
重要ではない政務に対する意識的な低さも、遅刻を誘発していたと考えられています。
藤原行成の『権記』によれば、政務で出仕する貴族が一人だけだった、という理由で退出した旨が記されています。
また、源経信の『帥記』でも、時刻どおりに出仕した人数が少ないために着座しないで退出した、という記述があるといいます。
こうした習慣が政務への意識を低くし、遅刻の頻発につながったと推測されています。
ほかにも、「物忌み」や「穢れ」の影響で時刻を守れなかったケースもあるようです。
遅刻したときは処罰されていた?
遅刻が常習化していた平安貴族たちですが、さきほどお話ししたとおり政務や朝廷行事では基本的に時刻を厳守しなければなりません。したがって、遅刻をした者については叱責されることもあったそうです。
たとえば、藤原道長が権力を握っていた頃、『小右記』の著者・藤原実資は、ある朝廷行事で遅刻をした際、道長に責められたそうです。また、遅刻をした人物の父親が、道長によって勘当された例もあります。
このように権力者が時刻に厳格の場合、遅刻をすることで何かしらの責めを受けることがあったようです。
とはいえ、実態としては遅刻が許容されていたため、一般的には処罰されることはありませんでした。
ただし、これはあくまで高位貴族の場合です。これが一般官人になると話が変わります。一般官人が遅刻をした際は対応が厳しくなり、しばしば処罰の対象になることが多かったといわれています。
このことから、官位や身分によって遅刻が許容されるケースと、されないケースがあったことをうかがい知れますね。
さいごに
現代と平安時代の頃では時刻に関する考え方、扱われ方が異なります。
ただ、偉い人の遅刻が許されやすい部分は、もしかしたら現代でもいえることかもしれませんね。
時刻に厳格で遅刻に厳しい現代と、表向きは厳格ですが実態としてはややゆるい平安時代。
あなたはどっちのほうがいいと思えますか?
参考文献 平安時代の遅刻について─摂関家を中心に─
歴史学者・細井浩志氏執筆。平安時代の朝廷行事や政務は時刻が決められていた。しかし、それがどの程度守られていたのかあまり知られていない。本稿はそうした古代日本人の時間感覚に迫り、なぜ遅刻をしていたのか、どうして容認されていたのか、遅刻をした人物への対応はどうだったのかを掲載している。当時の貴族たちの時間に対する考え方を考察するきっかけを与えてくれる。
歴史学者・細井浩志氏執筆。平安時代の朝廷行事や政務は時刻が決められていた。しかし、それがどの程度守られていたのかあまり知られていない。本稿はそうした古代日本人の時間感覚に迫り、なぜ遅刻をしていたのか、どうして容認されていたのか、遅刻をした人物への対応はどうだったのかを掲載している。当時の貴族たちの時間に対する考え方を考察するきっかけを与えてくれる。